Tiny Garden の楽々人生

谷川和久が綴る 時系列を全く無視した 雑記(not 日記)の倉庫

ゼニヤッタモンダッタ

※2006/5/25更新の記事より
 
先日、ライブで共演者が、
リクオ氏の曲を唄っていた。
けっして巧いとは云えない演奏だったのだが、
なんだか、優しいギターで、惹かれた。
「ブルーにこんがらがって」
と云うフレーズが出て来る唄で、
そーいや、よく耳にするフレーズだけど、
オリジナルは誰だ?と考えた。
 
検索してみた。
ボブ・ディランさんの1975年の作品、
tangled up in Blue、
の、邦題「ブルーにこんがらがって」、
が、オリジナルのようだ。
邦訳は誰だ?
 
今でこそ、
普通に日本語の文脈に入り込んでるが、
1980年代の初頭には、まだ、
ブルー、と云う言葉は、
色合い以上の意味は薄かった。
憂鬱、と云う意味合いで
ブルーを使った最初の人物は、
僕にとっては、佐野元春さんだ。
 
佐野さんのバックボーンにある
文学的なモノは読んだりしたけど、
音楽的な部分は聴こうとしなかった。
ディランさんも聴いてない。
 
佐野さんの楽曲
「ワイルド・オン・ザ・ストリート」
1984)では、
「プラスティックな魂(ソウル)」
と云う歌詩が登場する。
「プラスティック」、なんだか、
カタクナだか、冷たそうな印象だけど、
辞書をひくと「順応性のある」であった。
ほー、と、感心したもんだ。
 
「わからないコトがあったらすぐに辞書をひけ」。
誰かが僕に躾けてくれた、いい習慣だ。
疑問に思ったら、興味を持ったら、
すぐさま検索をかけれる、
ってーのはインターネットの魅力だ。
そして、別に、調べたいコトがなくても、
パラパラめくれて、発見があったりするのが、
書籍としての辞書の魅力だ。
 
それにしても、
いろんなカタカナ英語が日本語になって来た。
コラボレーション、なんて、
20年前は英語さえも知らなかったよ。
 
あれ?使われなくなった日本語の代わりに、
カタカナ英語の語彙は増えているのか?