Tiny Garden の楽々人生

谷川和久が綴る 時系列を全く無視した 雑記(not 日記)の倉庫

ペニー・ヘヴンリー

昔の話である。
 
中学校の修学旅行の直前に
片腕を骨折をした。
 
休み時間の教室で
プロレスごっこをしていて
どっちか片方の腕を骨折して
ギプスで修学旅行へ行く羽目になった。
 
先日、帰省時に話していると、
「あなた、修学旅行前に
 誰か骨折させたでしょ」
と、母は唐突に古い話を蒸し返す。
 
いえ、させられましたけど。
 
「あれ?そーだった?
 誰か骨折させたでしょ?
 謝りに行った記憶がある」
と、断言。
 
って、加害者なんですか?
僕は記憶はかなり悪い方だが
加害者か被害者かは覚えている。
謝りになぞ行ってはおらぬ。
 
そして、母よ、
その誤った記憶から察するに、
片手を骨折した息子の不自由を
全く世話してなかった、
ってコトですよね。
 
否、イヤイヤ、
中学二年生、と云えば、
ワタクシ側が、既に、
もう家族とはデスコミュニケーション
していたのか……。
 
 
 
中学生で思春期をこじらせて
家族と距離を取ったまんま、
高校生は半分独り暮らしもどきで、
大学進学で大阪に出て、
そのまま、僕は30歳まで、
家族とデスコミュニケーションであった。
学生時代は
学費も仕送りもして貰ってた、とは、
随分立派な態度だもんだ。
その後、積極的に関わり始めたのは
35歳を過ぎてからのコトとなる。
 
 
 
話を戻そう。
 
そう、僕は、
思春期をこじらせていたのだ。
 
こじらせた思春期あるあるだが、
母によると、中学生の時に、
近所の通りで、下校中の僕と
母はすれ違ったコトがあるらしく、
その際に、僕は、
「気付いているのに関わらず」
無視・シカトをキメこんだそうだ。
現在もかなり(!)根に持っており、
ちょくちょく、話題に持ち出す。
いや、ホントにごめんなさい。
 
とは云え、
僕は、片手不自由の独り身で
どうやって日常生活を
乗り切っていたのだろう‥‥。
 
母、ヘヴンリー、きっと
普通に優し気に微笑み乍ら、
仕返しとばかりに、
僕に、シカト返しをしていた
に違いない。
 
恐るべし、ヘヴンリー。