森尾由美さんのデビュー曲
「お・ね・が・い」のお話し。
大好きな曲だったのだが、
改めて聴いてみると、あれだ。
前半部分は
「ラストダンスを私に」
にそっくりじゃないか(笑)。
そして、歌詞と来たら
「四つのお願い」じゃないか。
放送禁止になるぞ(笑えない)。
当時、森尾嬢の歌唱力には
結構な衝撃を受けた記憶があるのだが、
今となっては、こんなもんか、
と受け止めてしまえるのである。
時代の流れ、音楽の多様化のおかげか。
否、それは何か言葉が違う。
サビの編曲、やっぱ、好きだなー。
お・ね・が・い / 森尾由美
作詞:槇村侑 / 作曲:槇村侑 / 編曲:清水信之
1983年5月5日 / PONYCANYON
https://youtu.be/fs49FID6KxY
多摩蘭坂の罪作りの家
インターネット上のニュース
アイドルグループの話題やなんかで
ぼんやり名前は見ていたけども
「欅坂」と「けやき坂」が
別物とは知らなかった
正直 とても 驚いた
でも
僕の周囲の友達たちのほとんどは
いまだに知らないのではないか
って 実は 強く 思っている
ムーディー・ブルース
随分と前に、
通っていた学校の校歌が変拍子だった、
と、云う話を書いた。
長崎の五島列島、福江島、
福江市(当時)立緑丘小学校の校歌の話だ。
同じく五島列島のとある学校は、
「私達の学校には校歌がありません」
と、ユーミンに校歌を依頼し、
実際に楽曲を作って貰っている。
なるほど、きっと、緑丘小学校にも、
校歌がなかった時代があったのだ。
それなら、と、
当時の校長だか、町長だか、が、
酒の席か何かで、
徒然なるままに歌った鼻歌メロディを、
校歌にしたのではないだろうか。
きっとそうに違いない。
迷惑を被ったのは、音楽教師だ。
録音されたカセットテープを渡され、
「伴奏ばつけんね(伴奏をつけなさい)」
と命令されたものの、
4拍子でも3拍子でも割り切れない、
謎の変拍子含みのメロディなのだ。
彼(或いは彼女)は必死に頑張って、
何とか辻褄を合わせたのだ。
きっとそうに違いない。
こないだ、
帰省の際に卒業アルバムを確認したが、
校歌に作詞者作曲者の記載はなかった。
・・・
きっとそうに違いない。
過去の記憶をほとんど引き出せない僕が、
何故かこの曲は覚えている。
通った他の二つの小学校の校歌も、
中学以降の校歌も覚えていないのに。
小学校3年から6年の夏までの、
福江での三年半の間に、
変拍子、プログレッシブロックの血が、
注入されたのであった。
きっとそうに違いない。
https://youtu.be/bYU3VXcNmIo
ハッピーいぬイヤー
旧年中はお世話になりました。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
戌年、と云うコトで、
昨年、否、下手したら一昨年に、
書きかけで放り出していた曲、
「ぼくはいぬ(仮題)」、
本日、仕上げまった。
いぬソングとしては、
乱陽気。さんの「猫の手も借りたい」、
には遠く及びませんが、
タイトルは「あのコとぼく」。
https://youtu.be/B8E0MqrGNOM
よろしければ聴いて下さいませ。
「泥~Day~」2017/12/23、
https://youtu.be/bBUIsoJWTAU
「キミノハナ」2018/12/31、
https://youtu.be/RXE8in4L4Os
に続く怒涛の新曲第三弾。
昨年は、なんとも、
人前でオリジナルを唄わず終いでしたが、
今年は唄いますよ、ハイ。
何卒宜しくお願い申し上げまする~。
m(_ _)m
谷川和久
平成30年1月2日
没原稿/東海大相模
ワケあって
相撲はもう見ない
と決めて数年が経つが
相撲の話
国内の様々な業種に
海外から様々な外国人が集まる
今日の日本であるが
大相撲の業界における
諸外国人力士の信じ難い程の
日本語の習得能力の高さは
もっと評価されてもいい
と 思うし
他の業界も見習うべき
かも とも 思う
そうでもしなきゃやってらんない
シキタリがあるなら
是正すべきトコはすべきで
でも
あんなに 流暢に
外つ国の言葉でのやり取り が
出来る ように なるのなら
あの狭い界隈こそが
習得出来る環境を産むのなら
それはそれで
何らかかのシステム化
を探求してもいいのかも
なんてね
どうでもいいけど
って文章を
随分前に書きちらかしてたのだけどボツ
もういっそ日本語学校にしたらいい