Tiny Garden の楽々人生

谷川和久が綴る 時系列を全く無視した 雑記(not 日記)の倉庫

Father and Child Reunion

僕は、親にとって、
扱い易いコではなかった、と思う。
 
そして、父親も、又、
扱われ易い親であろうとしてはいなかった、
のかも知れない。
 
そう思い始めたのは、数年前だ。
 
うちの父親は、
怒鳴り散らしたり暴れたりは全くしないが、
ただ、厳格なヒトであった。
 
なんせ、飼い猫さんに対しても、
「遊び過ぎ」、と
玩具を取り上げてしまう男であった。
折角「初玩具」を買って来たのに。
 
そんな父について、数年前から
ちょっと違うように考え始めた。
 
ちゃんとした父親たらんとして、
「厳しい父親」像を演じていたのかも知れない、
と云う考えだ。
演じた、と云う言い方は変かな。
「ちゃんとした親」を
履行しよう、遂行しよう、そうたらん、と、
日々、努めていた、のではないだろうか。
 
昨今は、
友達付き合いみたいな親子関係が
多いみたいだけれど、
そうじゃなかった時代の父親たち。
 
僕らと同じように若き日々があり、
恋をしたり、音楽に夢中になったり、
(実際に父は音楽が好きだったそうだ)
未熟な日々を重ねるうちに、
気が付けば、オトナの年齢になり、
働いて、結婚し、子供が出来、
どこの場面でも「大人」な対応が求められ、
それに応じていく新たな日々。
 
まだまだふわふわしているんだけれど、
「大人」に「親」にならなくちゃいけない。
 
「仲好し親子」のモデルケースが
まだレアだった時代の若い父親たちは、
「親父」の役割を求められ
必死に対応しただけ、なのかも知れない。
 
子供にも、部下にも、誰にも、
嫌われたいワケなんかあるワケもないのに、
存在感のある存在でいなきゃいけない
そのポジションを、その役割を、
必死で意地で貫いた、だけかも知れない、
「昭和」の「親父」達。
 
 
小学生の僕が
♪ 時にはしょーふのよ~おに ♪
と流行り歌を唄っていると、
「そんな歌は唄っちゃいけない」
と理由も云わず叱責した父は、
(理不尽であったが理由は訊けなかった)
やはり、
茶の間のテレビでちょっとでも
「性」を感じさせるようなシーンがあると
黙ってチャンネルを変えたのであった。
本当は自分一人なら
見たかったのかも知れない。
見てただろな。
 
失礼、話が逸れた。
 
 
最近、母と話すコトが以前よりは増えた。
母から聞く父の姿は
以前に抱いていた印象とは異なる。
 
「お父さんと結婚して幸せだったー」
と母親を笑顔にさせる父は、
母にとってとても優しい夫、
ステキなヒト、だったのだ。
 
そうだ、月を見れば拝む人だったっけ。
なんだよ、ロマンチストかよ。
 
うむ、多分、そうなんだろう。