Tiny Garden の楽々人生

Tiny Garden 谷川和久が綴る 時系列を全く無視した 雑記(not 日記)の倉庫

ルウリイ

高校生の時、
曲のコードを拾おうとして行き詰って、
結果、ベースラインをコピーした。
イロイロとモノスゴく勉強になった。
 
大好きな曲だ。
今、聴いて気付いた。
全員が素晴らしい仕事してる。
 
 
https://youtu.be/3PyKElIFXQA
 
リンゴの森の子猫たち
作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:川村栄二
歌:飯島真理/1983年
(アニメ『スプーンおばさん』)


りんごの森の子猫たち

大杉

かつての一時期、
国内だけでも108万4千人位の女性歌手が
「ディーバ」ともてはやされ
「歌姫」で溢れかえる時期があったけど、
 
「名バイプレイヤー」も、
多過ぎやしないかい?

一匹ペニー

「今日から俺がお前の家」
と、さだまさしは唄った。
1979年、27歳の時のコトだ。
 
一方、中島みゆきは、
「あの世も地獄もあたしには異国だ」
と、唄った。
1980年、28歳の時のコトだ。
全くの余談だが、鍵盤は西本明である。
 
「地球生まれのエイリアン」
と、栗本薫は書いた。
多分、同じ位の頃だろう。
 
幼い日々、僕は、
暖かい家庭に育ち乍ら、
ずっと孤独感に苛まれていた。
 
 
新しい曲が出来た。
今年はスリーコードの曲しか書かない、
なんて思っていたが、
無理な話だ。
 
しかし、三分台に収めたから、
それはそれでホメてくれよ。
 
タイトルは、
「一匹ペニー」のつもりだったが、
諸事情により変更。
 
ヴァガボンドは今日も往く」
デモである。
 


ヴァガボンドは今日も往く

散歩しない?

太田裕美さん
がテレビに出ていたので見ていた。
 
長年の謎が解けた。
 
「さらばシベリア鉄道
のメロディが
太田版と大滝詠一版で違うのは
何故なのか?
ずっと疑問に思っていた。
 

そのコトを語っていた。
 
大滝さんが自分用の楽曲として
「さらばシベリア鉄道」を
レコーディングしている最中に
「コレ女性が唄った方がいいよね?」
となって、太田さんにお話しが行き、
既に大滝さんヴォーカルで録音された
テイクがデモテイクとして手渡され、
太田さんはその通り完璧に歌ったそうだ。
 
そうして、同楽曲は、
大滝さんが自身のレコーディングに
例によって時間を掛けているうちに、
太田さん版の方が大滝さん版より先に
シングルとしてリリース。
 
その後に、大滝さん自身も
アルバム収録曲としてリリース。
 
「そしたらメロディが変わってた」
「多分、あのヒト、ひねくれてるから(笑)」
(not 原文ママ
みたいなコトを太田さんは仰っていた。
 
 
そうか、どちらも正解なのか。
もしかして松本隆さんからしたら、
太田さんの方が正解なのかな。

忍法:微笑みがえし

一昨年の秋に自営業を辞めて、
当然、就職活動をするワケだが、
当然乍ら決まらない、
面接にさえ辿り着かない、
と云う状況が続いた。
 
50歳前だし、そんなもんだ、
焦ってもしょうがない、
正社員なんて高望みはしない、
契約社員でも何でもいいし、
アルバイトだって何だって、
仕事さえありゃいいや、
自分の時間を優先させて、
って考えてるんだから、
雇って貰えるだけでラッキーだ、
 
なんて考えてはいるモノの、
なかなか悶々した状況が続いていた。
 
そんな時に、友人が、
「テレクラのサクラやってるけど
 なかなか悪くはないよ
 ヒト足りないみたいで
 いーっつも求人掛けてるから
 仕事してないんなら
 バイトのつもりでやってみたら?」
と声を掛けてくれた。
 
紹介、と云うカタチではなく
自分で電話を掛けて面接を受けた。
『履歴書不要』の面接、
と云うのを初めて体験した。
 
採用になった。
昨年の4月のコトだ。
 
契約社員
色んなテレクラの下請け・代行。
各種保険あり。
悪くない。
ありがたや、である。
サンキュー、友よ。
 
偶然にも、
昔のサラリーマン時代の同僚が
同じ会社の別部署にいた。
 
A社の下請けで入り、
K社下請けのヘルプに回され、
A社の下請けに戻り、
今年の1月に
元同僚のいるY社の下請けに転属。
 
A社時代より給料はかなり減るが、
拘束の条件や客層が改善、
私生活を充実した生活万歳、
となった。
サンキュー、友よ。
 
のも束の間である。
この3月だ。
 
同居女性が4月より東京に転勤決定。
ついてきて、と、云われる。
矢切の渡しである。
 
どうせ浮草稼業だぜ。
職場の上司に事情を説明し
3月末での退職を願い出た。
 
「あ、関東にも事業所あるから、
 仕事探したるわー」
と上司。
 
そうだ、テレクラサクラ業界では
業界No.1の会社なのだった。
 
転居先が決まった上で、
諸々の条件が合う職場を探して、
希望を上司に出して、
転属が可能か先方にお伺いを立てる、
と云う作業が始まったのが3月の半ば。
 
仕事の決まらぬまま、関東へ。
 
まぁいいや。
通常3ヶ月毎の契約の更新を、
この2月、先述の上司が
「めんどくさいやろ?」
(ホントは自分が)と云って、
6ヶ月で契約更新したトコなので、
ラッキーでしかない。
あと半年近く契約が残っていて、
会社側が「仕事探す」と云ったのだ。
向こうから切るコトは無理だろう。
保険あり、給料なし、プー。
サンキュー、上司。
 
同じタイミングの4月で、
出来る上司は別の事業所へ配置換え。
後任へは、別の上司が昇格したが、
どうやら、いっぱいいっぱい、で、
許容量を超えている模様。
話が進まない。
しゃーない。
 
勿論、僕の年齢もネックなのだろう。
 
テレクラのサクラの配属先は決まらぬまま、
プールと猫パトロールとJK(自宅警備)、
長い春休みは無為に続く。

 

 

 


杉真理「春がきて君は... 」

 

そして、間もなく終わる。
蘇るか、勤労。
サンキュー、ハニー。

さらば、朝潮橋のふざけたトリ

朝潮橋の駅前で
ふざけたトリに遭遇
探してみるとまばらに三羽いた
トリオのトリとは
益々ふざけたトリだ

さて 泳ぐぞ

 

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※オマケ※

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心のこり

女性ボーカルとアコースティックギター
二人組の音楽ユニットをしている。
 
会って、大阪を離れるコトを告げた。
 
数日後、
ライブの予定もないのに
練習の提案メールが入った。
 
嗚呼、もう流石である。
 
彼女の声と歌に
ギター一本で寄り添って来た。
結構、頑張った。
誰もホメてくれないから
自分で云うけど
僕じゃなきゃ弾けないギターを
頑張って弾いて来た自負はある。
 
解散でも休止でもなく、
でも、しばらく、
彼女が唄いたい気持ちになった時、
唄いたい歌をみつけた時、
気軽にギターを弾きに行くコトは
出来なくなるワケだ。
 
二時間スタジオに入った。
 
イロんな曲をおさらいしたら
昔の曲も思いの外に覚えてて、
何故かこのタイミングで
新しい曲も練習したりして(!!)
楽しい時間は終わる。
 
そして、だけど、こんな時に限って
うっかり財布を忘れてしまい、
スタジオ代を借りると云う大失態。
 
♪ 私バカよねー ♪
♪ おバカさんよねー ♪
 
借りは、必ず、返す!

小指の想い出

バンドに参加している。
素人の趣味のコピーバンドで、
僕のパートは見張り番である。
 
或る日のスタジオ練習。
 
ピアノのフレーズが印象的な
楽曲を合わせていたのだが、
どうにもその肝心の
ピアノのフレーズが気持ち悪い。
 
他の楽器との兼ね合いか?
音のバランスの問題か?
とも思ったがそうではない。
何かがオカシイ。
 
♪ レミミレミーシドドシドー ♪
と云うトップノート(※)に
(※一番高い目立つ音)
三度下のハモリが付くフレーズ。
 
一人で弾いてもらって、
フレーズ及び運指を確認するが
どう見ても合っている。
 
何故だ。
気のせいなのか?
 
リーダーでもある鍵盤弾きを囲み、
皆で混乱する中、
一人のメンバーが気付く。
 
「小指、動いてるけど、
 鍵盤、沈んでない…」
 
云われた鍵盤弾きが云う。
 
「あ、バレたー?
 小指、ギリギリやねん(笑)」
 
わかってたんかいっ。
そらトップノート聴こえんはずやわ。
他の音を省略してでも
トップノート強い指で弾かんかい。
 
あみんの「待つわ」のサビを
加藤晴子だけで聴いてるようなもんだ。
岡村孝子を連れて来い。
 
そんなリーダーの下、
僕たちは楽しく音を鳴らすのだった。
 
僕のパートは見張り番である。

忌野忌

古い友人と久し振りに呑んだ。
 
最初に勤めた会社の先輩で、
7歳上だったっけか?
今は千葉在住。
 
僕のバンドのライブにも
ホントによく来てくれていた。
四半世紀程も昔の話だ。
 
「今更やけどさ」
と前置きして彼は云う。
「えぇバンドやったと思うねん」
「好きな曲いっぱいあってさ」
「ギター地味やけど好きやったー」
そして、畳み込む。
『何で売れへんかってんや?』
 
今となっては、
世間で売れるだけの実力がなかった、
と、胸を張って云えるのだが、
見事に全く客は増えなかった。
 
そもそも、
オレ、天才、とか思ってたから、
売れる為の努力なんかしなかったし、
「音楽以外のコトしないで生活したい」
などと生活感のないコトぬかしては
ただただ音楽と言葉と酒に夢中で、
「売れたい!!」「メジャー!!」
と云う熱量は圧倒的に低かった。
低い、どころか、あったのか?
 
そらあかんわな。
 
M.C.も上手くやる気ゼロだったし、
曲も…、好きな曲は多いのだけれど、
どれもシングルには切れん(涙)。
キラーチューン、切り札がない。
 
うむ、売れる要素がない。
 
 
このバンドの後期(※)に、
※解散はしていないので語弊はあるが※
現役素人女子高生と別バンドを組んで、
そちらは、結構、僕なりには、
プロデューサー的に俯瞰し、
売れるべく努力をしたし、
曲も超ポップ&クールで(当社比)
シングル切れそうな曲ばっかだったけど、
やはり売れなかった。
 
なんで売れへんかったんや?
 
やはり、
世間で売れるだけの実力も運もなかった、
ってコトだ。
結果が全てだ。 
 
そして、だから、今の僕になる。
それでいいのだ。

H瀬くんからの手紙

最近は、
オリジナル曲はソロでしか演らないが、
昔は、ロックバンドで唄っていた。
 
高校二年生で初めて
ロックバンドのボーカルに誘われ、
随分長くバンドマンのつもりでいたが、
バンドマンとしての役割の自覚が
ようやく出来て来たのは、
30歳も過ぎての頃だったか?
他人のバンドを手伝い始めてからだった。
しかも唄でもギターでもなく、
サポートのベースで、
と云うから変な話だ。
 
いや、変な話でもないか。
 
さて、
中学からの友人から
久し振りに手紙が来た。
 
その友人は、
とても唄の上手なヤツで、
彼もまたソングライターであり、
学生時代には一緒にバンドもしていた。
 
しかし当時の僕は、
まだバンドマンではなかったのであった。
 
手紙には、
その当時の僕の言動が記されていた。
 
『口癖のように、いや口癖だったな。
歌の上手い自分とギターの上手い自分と
ベースの上手い自分とドラムの上手い自分と
キーボードの上手い自分がおらんかな〜
と言っていた。』
 
だそうで、当時の僕は、
自分の頭の中で鳴っている完全な音楽を、
譜面でも言葉でも説明する手間なく、
瞬時に現実に鳴らしてくれるメンバーを
求めていたのであった。
 
すっかり忘れていたが、
確かにそんなコトを云っていた。
完全にソロの思考である。
それじゃバックバンドじゃないか。
それでバンドマン気取りとは、
メンバーに対して失礼極まりない。
 
コピーやカバーのバンドであっても、
メンバーが代われば音が変わるのだ。
メンバーが一人代わればバンドは別物だ。
 
プログレ好きの言葉とは思えないが、
基本的には、今は、そう思う。
 
そして、
脳内サウンド完全再生を夢見ていた少年は、
数年後には、極端にも、
リズムがあって和音が鳴ってさえすれば
後はしっかりした言葉があればそれでいい、
等と云うていたのであった。
 
これまたメンバーに失礼極まりない。
 
でも、そのバンドのメンバーは、
そんな気紛れな僕の戯言にはお構いなく、
しかし、僕の歌詞と楽曲は尊重して、
アンサンブルを作り鳴らしてくれていた。
今更乍ら、感謝しかない。
K原くん、M口くん、T村くん、
ありがとう。
 
H瀬くん、
♪ 織江も大人になりました~ ♪