Tiny Garden の楽々人生

谷川和久が綴る 時系列を全く無視した 雑記(not 日記)の倉庫

H瀬くんからの手紙

最近は、
オリジナル曲はソロでしか演らないが、
昔は、ロックバンドで唄っていた。
 
高校二年生で初めて
ロックバンドのボーカルに誘われ、
随分長くバンドマンのつもりでいたが、
バンドマンとしての役割の自覚が
ようやく出来て来たのは、
30歳も過ぎての頃だったか?
他人のバンドを手伝い始めてからだった。
しかも唄でもギターでもなく、
サポートのベースで、
と云うから変な話だ。
 
いや、変な話でもないか。
 
さて、
中学からの友人から
久し振りに手紙が来た。
 
その友人は、
とても唄の上手なヤツで、
彼もまたソングライターであり、
学生時代には一緒にバンドもしていた。
 
しかし当時の僕は、
まだバンドマンではなかったのであった。
 
手紙には、
その当時の僕の言動が記されていた。
 
『口癖のように、いや口癖だったな。
歌の上手い自分とギターの上手い自分と
ベースの上手い自分とドラムの上手い自分と
キーボードの上手い自分がおらんかな〜
と言っていた。』
 
だそうで、当時の僕は、
自分の頭の中で鳴っている完全な音楽を、
譜面でも言葉でも説明する手間なく、
瞬時に現実に鳴らしてくれるメンバーを
求めていたのであった。
 
すっかり忘れていたが、
確かにそんなコトを云っていた。
完全にソロの思考である。
それじゃバックバンドじゃないか。
それでバンドマン気取りとは、
メンバーに対して失礼極まりない。
 
コピーやカバーのバンドであっても、
メンバーが代われば音が変わるのだ。
メンバーが一人代わればバンドは別物だ。
 
プログレ好きの言葉とは思えないが、
基本的には、今は、そう思う。
 
そして、
脳内サウンド完全再生を夢見ていた少年は、
数年後には、極端にも、
リズムがあって和音が鳴ってさえすれば
後はしっかりした言葉があればそれでいい、
等と云うていたのであった。
 
これまたメンバーに失礼極まりない。
 
でも、そのバンドのメンバーは、
そんな気紛れな僕の戯言にはお構いなく、
しかし、僕の歌詞と楽曲は尊重して、
アンサンブルを作り鳴らしてくれていた。
今更乍ら、感謝しかない。
K原くん、M口くん、T村くん、
ありがとう。
 
H瀬くん、
♪ 織江も大人になりました~ ♪