僕は、以前、ロックバンドのメンバーであった。
20歳前後から30代に入って暫く迄の季節を共に過ごした、
バンド、の、キイボーディスト、笠原くん、来店。
ヤマハのハモンドとミニムーグ(後期はnord)を操る、
プログレッシブロックを愛する鍵盤弾きであった。
僕にプログレッシブロックを教えてくれたのは、
彼だった。
二歳年上の同級生はもうアラフィフ。
あぁ、僕もか。
彼が、先日、家で、久々に引っ張り出したハモンドは、
すっかり音が出なくなっていたそうだ。
さみしい話だ。
開店の時に返して貰ったギターアンプの裏に、
彼のモノであろうUSBケーブルが入っていたのを、
一年の時を経て、ようやく返却出来た。
彼も去年の冬に行ったディズニーランドのお土産を、
一年の時を経て、持って来てくれた。
お守り、『夢がかないマウスように』
駄洒落か…。
昔は、クールな笠原くんであったが、
「ディズニーランド、あそこは、…夢の国やな」
と、まさかの発言をする大人になっていた。
色んな話をして、帰って行ったが、
出る際に上着掛けから上着を羽織っていたのに、
もう一枚あった?上着を忘れて行っていた。
ついでに、返したUSBケーブルも忘れて行っていた。
慌てて電話をしたら、
「又行くから置いといて~」
って、いつや?
一年後か?
ありがとう。
歌詞に全く興味がない彼が、
僕の唄を積極的に支えてくれたコトは、
今でも、僕の、強い、拠り所だ。